HIT! 3
You, poor student!!
「フゥム……成る程のォ」
頭に白い物が混じり始めた初老の魔術師は、薄暗い部屋の中で頻りに頷いてみせた。日の光を嫌うような部屋だったが、実際に日の光を嫌うのは、4面の壁と床一面を埋め尽くそうとする蔵書の山だった。
エルブレス=クィズォ=バーティークルイゼ(52)。ルスト王立魔術師ギルド・継続魔術(部門・バーティークルイゼ教室を取り纏める高導師(。門下には導師(が2名と21名の弟子。構成人数としては、多くも少なくもない。
ギシリ……と、椅子が軋んだ。背凭れに力一杯に背中を預けたからだろう。
「お願い致します、バート師」
そう言って、もう一度頭を下げようとする門下の少年に、バーティークルイゼ――門下の皆からバート師と呼ばれる――は「簡単に頭を下げるでない」と、諭すでもなく言い渡して制した。
「それに、ワシは一言たりとも『駄目だ』とは言っておらんぞ」
一頻(り人当たりの良さそうな笑みを浮かべると、またすぐに難しそうな顔に戻す。
「それでは……」
バート師の言葉に面(を上げて、少年・ギルバート=レルディア=アグラルホルス。
「ああ。自分自身の思うようにするが良い」
「有り難う御座います!!」
もう一度一礼すると、バート師は重ねて「簡単に頭を下げるでない」と言う。
「しかし……」
ギシ……。また、椅子が鳴る。余りに何度も鳴るので、そろそろ寿命か?とも思うが、思い続けて早2年になる。
「ギルバートよ。お前は、本当にそれで良いのか?」
確かめるように、年老いた2つの緑瞳を、年若い緑瞳に重ねた。
一瞬の逡巡。しかし、ギルバートはコクリと頭を縦に振る。これには流石にバート師も「頭を下げるな」とは言わない。
そうかと、バート師は呟いた。
ギルバートのその決断を、間違っていると言うつもりは毛頭無い。己の中に一握(程度しか見出(せないような可能性を信じ続けるのは美点だとは認めるが、同時に致命的な欠点だ。人生の酸(いも甘いも味わった者だけが持つその現実論を、バート師は若き日から持論として展開している。
寧ろ、7年間の努力を水泡に帰してでも、より高い可能性を見出そうとするギルバートを褒めてやりたいとさえ、バート師は考える。
しかし……。先刻と同じ一言。その終着に執着してしまうのは、結局の所、彼が老いてしまったからだろう。人は、生まれて夢を探し求め、若くして夢を追い続け、大人になって夢に挫け折れ、老いさらばえて夢を思い返す。そんな物なのかもしれない。
「解かった。とは言え、あまり長く留守にされても、ワシとレイモンズだけでは手が回らなくなってしまうからのぉ。そうじゃな……半月程度を目処(にしてもらえると、ワシとしても嬉しいの」
「了解しました。外出許可を頂き、感謝致します」
最後に一礼して、部屋を出た。扉を閉める音に「簡単に頭を下げるでない」とのバート師の言葉が重なった。
バート師の部屋を出ると、当然だがそこは廊下。バート師の部屋の中とは違い、ルストを照らす強い日差しが呆れる程に差し込んで、目が痛い程だ。
そのせいだろう。ギルバートは、彼から声を掛けられるまで、存在に気付けなかった。
「よう、優等生殿」
高慢なその声だけ聞けば、誰何(の言葉など不用だった。自分以外の全てを倣岸に見下(そうとする意志に溢れた、嫌悪感を催す声だ。
廊下を縫ってサッと流れる清涼な風が、一瞬でジメッとした粘着質な感触を持ったような気がする。
「立ち聞き盗み聞きとは、また一つ趣味の悪い遊びを覚えたようですね、レイモンズ師兄(」
際立つ嫌悪感を隠そうともせず、ギルバートは険を孕んだ視線を突き刺した。バート師の部屋へ続く扉の脇に立つ、ニヤけた笑みの青年に。
青年の名前は、レイモンズ=ラルツェ=ハイブルー。観光都市としても名高い"天高き"ハイブルー領主の次男坊。年齢は20歳。その若さでメイジの位を受けているのは、決して金や権力の威光を借りているわけでは無く、彼自身が持つ突出した才が成せた結果だ。彼はその才を認められ、僅か15歳の時にメイジとしての位を受けていた。
その類稀なる天賦の才は、レイモンズを天狗にさせるには充分以上の材料だった。自分はハイブルーの小さなギルドに治まる程度の器ではないと、ルスト王立魔術師ギルド・バーティークルイゼ教室へと編入した。
そこで出会ったのが、ギルバート。僅か8歳でメイジの位を受けたと言う、魔術師ギルド創立以来の超々エリート。天狗の鼻は音を立てて圧(し折られた。
自信過剰で陳腐なプライドにしか縋れない程度のレイモンズがギルバートを敵視するに到るまで、一日の時間さえ必要としなかった。以来、レイモンズは事あるごとにギルバートに突っ掛かり、重箱の隅を突付く程度のミスさえ見逃したりはしなかった。他人を貶(める事でしか自分を輝かす事が出来ず、その行為自体が自分の輝きを曇らせる結果を導いている事に気付いていない。
当然、深刻な表情でバート師を訪れた年下の同格者を見逃すはずも無く、聞き耳を立てた次第だ。予想立てるに苦も無い現実に対して、ギルバートにしてもレイモンズの非礼を罵るより先に、彼の存在に気付けなかった自分を呪ったくらいだ。
「ギルバート君ほどの男が、バート師にどう言った御用が?」
白々しい丁寧口調が、殊更(神経を逆撫でする。
立ち聞きしていたクセに。舌打ちし、忌々しげに表情を歪めた。ドアやら壁やらの造りに防音効果は望めず、聞き耳を立てれば筒抜けなのは、経験上よく知っている事だった。
それでもレイモンズを相手にムキになるのも愚かしいと、質問へ対する回答を拒絶する。
レイモンズを視界から締め出すように、窓から臨める中庭へと目を遣る。緑の瞳の魔術師達が、談議に笑い、論議に顔を引き締め、ある者は元気に走り回り、ある者は真昼の惰眠に落ちていた。
「しかし、優等生は違うね。思い切りがよ」
足早に歩を進めるギルバートの斜め後ろ、小判鮫のように――だがそれよりも悪質に付き纏いながら、あの嫌味ったらしくネト付く口調で喋り続けている。
「7年間の努力を、ザクッと切り捨てる。俺達みたいな凡人には、とても真似できないよ」
流石に聞き捨てならないそのセリフに足を止め、レイモンズを睨み付けた。
「お?何だ?やるのか?言っとくが、俺とやるのはやめといた方が良いぜ?」
言いながら、シャドーボクシングの要領で二度・三度と拳を打ち出してはステップを踏むと言う動作を繰り返す。見る者が見れば"闘い"の愚弄とも言える程ド素人丸出しのそのシャドーに、蹴りの一つも入れたくなった。
別に、紛(い物の喧嘩自慢に恐れをなしたのではなく、ただ相手をするのも馬鹿らしくなったので、レイモンズを放ったらかして、そのまま歩調を速めてその場を離れた。
「あ、てめェ!無視してんじゃねェ!いつもいつも優等生ぶった面(ァしやがって!!」
そんなつもりは、更々(無かった。ギルバートは、自分で自覚していたから。
レイモンズ罵声が、突き抜けるようにして耳を襲う。
「この、落ちこぼれ!!」
そう。それを――自覚している。
背中から遠ざかるレイモンズの罵声は、もうギルバートの耳には届いていない。
「優等生」――「落ちこぼれ」。およそ対極にあるその2つが、共にギルバートの肩書きに載っている。そして、その対極にある2つは、同等の牙となってギルバートの心を責め立てる。
「優等生」――それは、皮肉の牙となる。
「落ちこぼれ」――それは、誹謗の牙となる。
ギルバートの苦笑は、晴れ渡る青空にはあまりにも不向きだった。
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