HIT! 2
Beat'n'kill them!!

 今月分の借金をマスターに返済して、次の冒険の為の準備して、今日は久し振りにお夕飯奮発して。そうそう、お兄ちゃんとファルさんにも、少しくらいお小遣いあげようかな。今回、二人とも頑張ったから。それでも……うん、来月までなら普通の生活が送れる。
 粗末な丸机の上に積み上げた銀貨の山を目の前に、少女の表情は緩み切っていた。その数は全部で3000枚。これだけあればおよそ一ヶ月、1家族が人並の贅沢を交えて暮らしを送っていける金額だ。見ているだけで頬を緩ませるのは、ある意味で仕方が無いのだが……。残念ながらこの銀貨は、10分もすれば消えて無くなってしまう運命にある。
 チラリと視線を銀貨の山から外し、ベッドへ――本当は、その下に御座なりながらに隠してある宝石袋へ――向けた。その宝石袋の中身との等価分が、この銀貨の山だ。つまり、まだ半分残っているわけだ。
「う〜ん。今回の仕事、ちょっと無理したけど、その甲斐あったなァ〜〜。これで、今月だけでも肩身の狭い思いをしなくて済む」
 グスッと、鼻を鳴らした。嬉し涙を堪えたせいだ。一つしかない窓から差し込む朝日に涙を滲ませて、少女は立ち上がった。ポニーテールに結い纏めた金色の髪の毛が、それに合わせて揺らめき踊った。
 少女は窓に背を向けると、その対面の壁にあるドアに向かう。
 少女の名は、リル。姓は持っていないが、して珍しい事ではない。小さな村を出自にする者にとって、それは寧ろ当然の事だ。
 年齢は15。髪の色は前述通りの金髪ゴールド・ブロンド。魔術の才の無さを表わす青色の瞳。白く細いが、決して華奢ではないしなやかな両手足。膨らみの小さな胸。あどけない顔立ちの中には、少女特有の「愛嬌」と言う魅力が溢れる。
 肉親はいない。5年程前に両親と実姉を亡くし、それを機に「兄」と慕う青年に武術を習いつつ冒険者家業に身をやつした、と言う経緯いきさつを持つ。
 彼女が生業とする冒険者と言う職業、それを言い表すなら、無契約フリーランス面倒事請負人トラブル・シューター。とてもではないが少女趣味とは言えない。
 ドアを潜り抜け、廊下に出る。彼女の部屋は宿屋の三階の一番奥まった場所にある。
 ギシギシと音を立てるが、決して普請が安いわけではなく、それなりに派手に暴れても意外と壊れない優秀な造りをしている。
 彼女の住み込む部屋から廊下を一直線に抜けると、そこに階段がある。
 一段飛ばしに階段を駆け下り、二階へ、そして酒場を兼ねる一階へと身を躍らせた。平地に広く立体に高いこの造りが、宿屋《倶月亭》の売り。冒険者の店では無いが、利用者の多くが冒険者であるのは、宿代が安いから。長期宿泊が常となる冒険者にとって、それは有り難い事だった。
「あ、マスター」
「あん?!」
 昼間の酒場は閑静なものだ。泊り客である冒険者は、この時間は冒険者の店へ足を伸ばして仕事を探すか、もしくは受けた依頼の遂行に大忙しか、さもなければ次なる仕事に向けて惰眠の中で英気を養っているかだ。
 夕方の客入りまでの長閑のどかな時間を、御機嫌な鼻歌を交えてグラス磨きに費やしていた《倶月亭》マスター・ガッド=ルナヴィズは、リルの呼び声一つで御機嫌をななめにした。
 ウッと気負けて、リルは後退る。愛嬌たっぷりの顔が負けじた曇り顔に変化する。それでも逃げなかったのは、ここで逃げるわけにはいかなかったからだ。
「その……あの……。宿代の支払いを……」
 起死回生のリルの言葉だったが、ガッドの機嫌は直らない。どころか、胡散臭さ一杯の視線を不躾に投げ付けて全く信用していない。
「ほ、本当ですよ!今度こそちゃんと3000drsお支払いしますよ!!」
 それでも、実は全体の借金の1/10にも満たっていない。借金の内容は、一年半の宿泊料金プラス食費プラス各種損害賠償金。ガッドに残った最後の情けで、「毎月3000ずつの支払いで1年間、それだけ我慢してやる」と言ってもらえたのだ。但し、期日を一日でも過ぎれば、サクッと官憲に突き出されると言う条件付で。勿論、直接ブタ箱逝きにされても文句の言えない立場にいるリルには、誠以って嬉しい申し出でしかない。色々な意味で、涙が出る程に。
「昨日の依頼報酬で6000drs、懐に入ったんですよ。ですから、期日にはまだ2週間ありますケド、ちゃんと支払えるんです」
「フン。だったら3000なんぞと言わずに、さっさと6000払って欲しいモンだ」
 必死な弁解を弄するリルに、ガッドは殺生極まりないセリフで答えた。その3000持っていかれたら、間違う事無く文無しだ――フィルライナに「文」と言う通貨が無いのは秘密だが――。取り敢えずその場は下手クソな愛想笑いで誤魔化した。
 ガッドを引き連れ、軟禁部屋を兼ねた自室に戻る。
 扉を開けて、
「ホラ、見て下さい」
 わざわざ机の上に3000枚の銀貨を山積みにしたのは、こう言う効果を狙っての事。こう言う細かい効果を狙うようになっている自分が、妙に物悲しい……。そんな事をフと、哀愁混じりに思ってしまった。
「で?」
 ちょっとした自己嫌悪に陥るリルに、ガッドの苛立たしげな言葉が投げ掛けられた。勿論、そのたった一文字の質問の意味を掴み取る事など出来ない。一体、何が不満なのだろう?
 首を傾げるリル。
「何処に、返済金が、あるって言うんだ?!」
「え?だからそこに……」
 言いながら銀貨の山を覗き見て……絶句した。確かに山積みになっていたハズの銀貨が、たった一枚の紙切れに代わっていれば、そりゃ驚く。
 リルは慌てふためき机の上にポツネンと居座る紙切れを引っ手繰る。文字が書かれているが、残念ながら、紙幣や小切手ではない。フィルライナには、そんな物は無いのだから。
 ほんの僅かな時間――それこそ、5分・6分だけ目を離した隙に、銀貨の山が紙切れ一枚に変わり果てる。そんな信じられない現実に動転しながらも、少しだけ残る冷静な部分が、紙に書き殴られた文字を黙読する事を可能にした。
 ――怪―― ――盗―― ――エ―― ――ティ―― ――ル――。
 バリ。紙が、真っ二つに割れた。ビリと破るのではなく、左右に力任せに引っ張って、真っ二つに割った。
「あ・ん・の……」
 グシャと、2つになったばかりの紙を一つに纏めて丸める。
ごく潰し!!」
 思い切り床に叩き付けても、「ペシ」と間の抜けた音しか鳴らず、それがまたリルの癇に障る。
 転がる紙屑を追うと、地団駄を踏むように紙を踏み潰す。その紙屑の奥に、血の繋がりの無い兄――エティル=ナーガルジュナ(24)の姿を映しながら。
「帰って来たら、八つ裂きにしてやる!!」
 怒りに肩を上下させながら居切り立つリル。その後ろから
「ゴホン」
 あまりにワザとらしい咳き払いが一つ。
 怒りに紅潮するリルの顔色が、今度はサッと蒼褪める。
「借金の返済は」
「大丈夫です!!」
 皆まで言わせず、リルは制した。慌てた様子でベッドに駆け寄ると、膝を折ってペタリとしゃがんだ。
「こんな事もあろうかと、残りの3000だけは別に分け置いてたんです!!」
 自分の用意の良さに感謝しながら、ベッドの下でガサゴソする間も無く。
 ムニュ。
 妙な手応え。柔らかい。もう一度。
 ムニュムニュ。
「ひゃんv」
 喉の奥から掠れ出るような、色艶やかな桃色吐息。若い女性の喘ぎ声。
 床に頬を乗せて覗き込めば、
「はァ〜い」
 女性が一人。横になって手を振った。年齢は二十代早期と言う所か。驚く程の美女だ――横になってるけど――。
「もう、リルはん。どこを触りはりますの。エッチなんやからァ」
 薄暗いベッドの下で頬を赤らめながら、小振りではあるが形良い胸を両腕で隠す――横になってるけど――。その胸元にしっかりと抱き抱えられた宝石袋には、見覚えがある。
「……そこで何を?ファルさん」
「いややわァ、解かってはるクセに」
 照れ臭そうに頭を掻いて――横になってるけど――
「お昼寝に決まってるやないですか」
「そこで何を?ファルさん」
 もう一度、美女の回答に質問を重ねて言った。
 ファル。ファルフィンリットと言う名前の長さを考慮した愛称は、人一人が入るにはあまりにも狭苦しいベッドの下で、隠して置いた宝石袋を胸に、昼寝に興じようと言う美女の呼び名だ――横になってるけど――。
「え〜と……だから、少々お昼寝を」
「そこ、動かないでね?」
 会話をする意志など毛頭無いと言わんばかり。
 ファルとの距離を軽く目算すると、ベッドの上に飛び乗った。
 柔らかい布団を通しても、歩くその度ギシギシと耳障りな軋む悲鳴を上げていた。
 ピタリと、目算通りならファルが横になっているであろう位置の真上で止まると、
「昼寝なんて言わず!!永眠なさい!!!!」
 叫ぶと、拳を振り上げた。その拳には、瓦五枚割りの勲章が輝いている。
 足元で、恐怖に引き攣ったファルの叫びが木霊した。
ファルフィンリットの名のもとに、応えよ、其が形成かたなしの力!!
 リルの拳が振り下ろされるよりも早く――
――儂ハ守人 家屋ノ共人トモビト
 ベッドが、二本の足を床に残してフワリと浮いた。
――(ヌシ)ノ右腕ヲ移リ身ニ
 大きく後ろへ向かって飛び退くが、その後を追うようにベッドが舞い上がった。
――剛力無双ヲ振ルウ忠臣ナリ
 咄嗟に身を伏せ、どうにか襲い来るベッドを避けると、リルの背中で大音響が鳴った。
 大音響を耳に、濛々もうもうと立ち込める埃まみれの煙に視界を奪われながらリルは立つ。ここで諦めては、彼女の明日は閉ざされる。
 決死の決意に躊躇いを捨て、床を蹴った。光に炙される煙の中に飛び込んで、勘に任せて蹴りを放つ。ベッドがあった側の壁には、この部屋唯一の光の取り入れ口があり、そこから逃げ出そうとする可能性があると踏んでの一撃だった。
「きゃっ?!」
 予感的中。左から右へ、体ごと旋回させて放った廻し蹴りが、確かに標的を捕え、窓から引き剥がした。
 窓からの脱出を不可能にするよう、リルが立つ。自然、陽光を背に受ける形になり、標的たるファルが日に照り出される格好になる。ケホケホと聞こえるのは、埃を器官に吸い込んだファルの咳き込みだ。
 煙が晴れると、そこには美女が一人立つ。同性であるリルでさえ、気を抜けば見惚れてしまう程の、羨ましいまでの美貌の女性だ。
 産声うぶごえを上げる新芽のように青々とした碧色の右の瞳と、その新芽を見守る春の太陽のような金色の左の瞳と言う、奇妙な取り合わせの異色の両瞳オッド・アイ。日の光に向かい立つ若木のようにスラリとした手足。夕陽に映える稲穂に揺れる長い金色の髪。若く張りのある、一面を覆う白銀の雪のようになめらかな肌。フィルライナに訪れる四季とあらゆる自然が一つの生命として形を得たよう美しさは、およそ人間離れしている。
 そして彼女は人間ではなかった。彼女は妖精――精霊達と言葉を交わす自然の代弁者・エルフ。長く尖った左右の耳は、言ってしまえばその証明書のようなものだ。
 エルフは、平均寿命300歳を越える不老長寿の妖精族だ。肉体的に最も盛んな年頃までは人間よりも少々遅い程度の成長を重ね、以降の余生は、一切の老化から解放される。それはつまり、エルフと言う種が見た目通りの年齢であるとは言い切れない、と言う事だ。勿論、ファルとて例外ではない。一見、20代早期に見える若々しい姿だが、実年齢は97歳。それでも、エルフとしては若い部類だ。
「危ないやないですか?!家屋の精霊ブラウニーはんがおらなんだら、ウチの腕、折れとりましたよ?!」
「ンな手癖の悪い腕、折っちゃった方が世の為人の為よ!!」
 人間社会の言語に馴染んでいないが故の独特なイントネーションで不平を洩らすファルへの対応は、極めて険悪だった。一息に間合いを詰め、拳を――続いて蹴りを放つ。
「手癖が悪いやなんて心外やわ」
 喋りながら、リルの攻撃をヒョイヒョイとかわすファル。
「これは、リルはんだけや無くって、ウチらで稼いだ報酬やろ?だったら、ウチにも配当されてしかるべきやありまへんか?」
 ファルが喋る間にも、リルの攻撃の手は止まない。それどころか、勢いを増している。
 右の裏拳バック・ナックルから、肩の回転を殺さず左の掌底突き。身を捻りながら向かって左にヒラリと避けるファルを追い、左の肘を打ち出す。更に追撃を掛ける右の上段廻し蹴り。身を屈めて避けられれば、掛け蹴りを応用した変形の脳天蹴りネリ・チャギ米搗虫こめつきむしよろしく間合いを離すファルを追って――
 一つの技から次の技に移行するのは、秒刻みの息も尽かさぬ連続攻撃。しかし――ファルは戯言ざれごと混じりに優々と躱し続ける。
「そゆ事言って、じゃぁ私への配当はどうなるのよ?!」
「いややわ。人間、お金に汚くだけはなりとう無いわ……」
「それもこれも、どれもこれも!!誰かさん達がこさえた借金がかさんだせいでしょうが!!!」
「やったら尚の事、ウチに任せなさいて」
 コロコロと笑う表情も魅力的だ。が、今のリルには神経を逆撫でする程度の効果しかなかった。袈裟掛けに振り下ろす右の飛び踵落としの切れが増す。
「半日待ちなはれ。今晩にはこの3000が30000に膨れ上がってますから」
き肉にされたい?!」
 ファルの言わんとする事を察するには、時間は必要無い。共に行動してきたこの一年半の時間でもう充分だ。
賭博ギャンブルでどうやってしたらファルさんが稼げるのよ!!」
「失敬な子やわぁ。こないだかて、ちゃんと持ち金を倍以上に増やしたやないですか。今、ウチの運気は上がり調子なんよ?」
「20を41に増やした程度で、何が上がり調子か!!」
 怒りを乗せた裡門肘頂りもんちゅうちょう、やはりファルの体に当たる事は無かった。大振りになったのを見計らわれ、間合いを大きく離された。
「ま、あと一刻二刻待ちなはれ。あと少しで大穴勝負始まります故」
「止めろっってんのが聞こえないんかァ!!」
 怒りがピークを飛び越えて、好い加減、涙まで出る。しかし。
ファルフィンリットの名の下に
 流暢に流れる言の葉を紡ぐファル。全く聞いちゃいない。
応えよ、其が形成しの力!!
「待てと言うのに!!」
 辛うじて叫び、腕を突き出す。「捕まえる」などと言う生易しい物では無い。殴り殺そうかと言わんばかりに拳を固めている。
 顔面を狙うその拳を、風に舞う木の葉のようにフワリと後ろに飛んで躱す間に、小さく囁くような、愛らしい声が木霊した。
――僕ハ心 臆スル心
 ス……と、ファルの体がけ始めた。
――君ノ体ニ心ヲ映シテ
 透けたファルの表情が、ニンマリと笑みを形作って……
――敵意ノ目カラ 君ノ姿ヲ隠ス者
 消えた。体だけでは無く、彼女が身に纏う衣裳も含めて。
 精霊術――聞き慣れない言葉かもしれない。それは仕方の無い事だ。人の中には、その術を使える者がいないのだから。
 精霊術とは、万物にあまねく精霊達の力を借り受けて、術者の体を通して行使する法術。ベッドの下かラ抜け出す折には右腕に家屋の精霊ブラウニーの力を宿らせて、その剛力で以ってベッドを力任せに放り投げた。今の場合は恐怖を司る心の精霊スプライトの力を全身に宿らせる事で、見事にリルから姿をくらませた。
 目標を見失ってつんのめり、リルの拳は壁を割った。
 戸惑うリルの耳元で、姿を消したファルの囁き。
「大船に乗った気持ちで待ってはりなさいね」
 沈没の豪華客船タイタニック号では無く、火を見るよりも結果が明らかな『カチカチ山』の狸が乗った泥舟だろう。
 ここで諦めるわけにもいかず、予測あたりを付けて空間を掃くように蹴りを見舞った。
 虚しく空振りするだけに終わった。
 後に残るのは、シンと静まる沈黙だけだった。
「あの……」
 馬鹿と続けようとしたつもりだったのだが、そのたった一語さえも言葉にならない。ニの句の繋げない怒りに全身を戦慄わななかせる。ボロボロと大粒成る涙を、拭う事さえ忘れている。
 リルは、やっとの事で絶叫した。
「叩ッ殺してやるううううううゥゥゥゥゥゥゥゥーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」
 尾を引いた絶叫の後に残る、余韻混じりの虚しさ――にひたる間も無く、ビクンと一つ身を震わせる。
 トン、トン、トン、と、床を爪弾つまびく軽い音。その音にでは無く、立ち込める殺気を勘取り身を竦ませる。
 規則正しく空気を刻み、度毎たびごとにリルの心が恐怖を刻む。
 泣きたい……思った事は、既に表情に出てしまっている。
「……で?」
 ピタリと音が止むと、同時に掠れて洩れる低い声。意を決して振り返ると、腰から下をベッドと床にサンドイッチされたガッド=ルナヴィズ。
 それきり静まる部屋の中で、リルは一人フルフルと力弱く首を左右に振るだけだった。その行為に、どんな意味さえ見出せないままに……。



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