HIT! 1
This level is no good...

 水生じの刻。晴れぬ朝靄に日の光を奪われて、太陽が寝惚けているような錯覚にも囚われる。チ・チ・チと、小鳥の忙しい囀りが、しかし確かな朝の到来を告げている。
 ルスト王立魔術師ギルド。大陸ルスト最大の魔術師ギルドで、所属する魔術師数は2000に及ぶ。設立当初はルストの中央に小さく居を構えていたギルドも、その所属人数の巨大さが相俟あいまって、今ではルスト中央の第一敷地を中心に、東西南北に第二〜第五敷地を構えるにまで広がっている。
 そのルスト王立魔術師ギルド第二敷地――東部に位置する通称「青の術敷じっしき」の一角に狭座する薄い樹林帯の中、少年は立っていた。柔らかく目を閉じているが、眠っているわけでは無い。規則正しくも無意識ではありえない息遣いがその証明となるだろう。
 ギルバート=レルディア=アグラルホルス。少年の名だ。15と言う齢に適した幼顔に、聡明さを併せ持つ奇妙な愛嬌のおもて。黒髪が少々長いのは、単に手入れ不足なだけで、伸ばしているわけでは無い。身を包む丈長いローブと眼前に携える曲がりくねる樫製のスタッフは、ルスト王立魔術師ギルド所属者の証明書だった。
 ギルバートは、ルスト王立魔術師ギルド・継続魔術コンティニュアス部門・バーティークルイゼ教室に所属する導師メイジ。その肩書きに、魔術師の内情を知る者は皆揃って、我が耳か、ギルバートを疑う。「実は老人が変化の魔術でも使ってからかっているのではないか」とか「魔術の秘法によって老化が抑えられているだけで、実は見た目通りの年齢ではないのではないか」とか――もっと端的に「嘘吹いてんじゃないのか」と。
 だが、ギルバートのあらゆる経歴には一片の詐称も無い。
 ギルバートは3歳の頃にはあらゆる理論を知識として持たずして、ごく微弱ながらにも魔術を使用した。直後、両親・両曽親によってギルドに預けられ、基礎魔術理論をみっちりと仕込まれた。その理論を生来有した高い知能で以って5歳の時分には完全に知識の中に修め、同年には正弟マジシャンの位へとステップアップしていた。
 その後、6歳の頃には高弟ウォーロックの、8歳でギリギリながら導師メイジの位を獲得して、一流エリートさえも真っ青の出世街道を突き走っている。その頃には「学院創設以来初の十代の若高導師アークメイジが生まれるかもしれない」とまことしやかに噂され、同時に確信もされていた。
 それから七年。彼は超エリートとしての才気に胡座あぐらをかくのでは無く、その才覚をさらにさらに引き伸ばそうと日々の精進を怠らず修行に励み続けていた。
 他の魔術師達が日中へ向けて英気を養う早朝の間を縫ってここにいるのも、その修行の一環。特に来週の頭にはアークメイジ昇格切符を賭けた昇格試験がある。まァ、合格したからと言っても、アークメイジとしてのポストの空きが来ない限り、昇格は出来ないのだが――それでも、やはり気合いの乗りは違ってくる。
 短く息を吐き、長く吸い、長く吐く。その三つのサイクルを、一体幾度繰り返しただろうか。小鳥の囀りも、風のざわめきも、草の香りも、土の匂いも、全ての感覚を身に受け入れながら、全ての感覚を外へと吐き出す。
 魔術行使への前儀式。深く、高く研ぎ澄まされた精神統一コンセントレーションは、次に執り行われる術式に乗せる魔力を醇化する。魔力が醇化されれば、それだけ魔術は強力に成る。
 胸の中の息を吐き出し、印を組んだ。両手の親指と中指で三角形を作り、それを四分するように人差し指を交差させる。
「《開門式
 少年の凛然とした呟きが、木々の繁る幻想の空間に木霊した。
 思いの他深みのある声。地声では無く、感情の波を魔力へ高質圧縮させる時の彼のクセ。彼は高いコンセントレーションを行なう時、声質を無機化させる。
 両手を緩やかにスライドさせ、今度は親指と人差し指で三角形を作った。
其は欲喰よくじきの化身 紅蓮の焼滅を招く者
 両掌を合わせる。
赤色せきしょくの召喚五鋩に招かれ来たれ 華焔の執行者
 詠唱が進むたび、印組と音節は調和を乱していく。しかし、そこには確かな理論付けの成された法則性があり、2本の腕と10本の指が形成す印組みが緩やかにその形を変えていく。
 印組や詠唱による外観の魔力構成だけでは無く、魔術師で無い者には見る事の無い、精神視に因る魔力構成も抜かりは無い。魔力法陣敷、呪紋連鎖、醇化魔力の変換式門。あらゆる術式が、セカンド単位では無く1/1000秒ミリセカンド単位で制御される。
 紡ぎ出される詠唱と、織り成される印組の中、ギルバートは自分の中の魔力がその凝縮を増していく事を知る。
 そして、ある瞬間に、自分の魔力が最大にまで達するのを知った時、ギルバートの瞳がカッと見開かれた。
顕現式
 緑色の瞳が、朝の光を返して光を放ったようにさえ見えた。
 巻き起こる炎の渦嵐。ギルバートの眼前に立ち居る若い樹木を包み込み、猛々しく炎熱を放ち続ける。
 炎が飽く無き蹂躙を愉しんだ時間は、たっぷり1分の長さに及ぶ。その間もギルバートは、詠唱こそ途切れさせたとは言え、休む事無く呪印を素早く組替えながら、術式を継続する。
 そして最後に
閉門式 》」
 呟き、印組を続けた両掌をソッと合わせた。そこで、全ての術式は終了。同時に、炎の乱舞も失せ消える。
 ふぅと熱い呼気を零して一度、二度と深呼吸をする。
 思考と肉体とがズレたような違和感を拭うと、彼は自分の魔術が残した結果へと視線を向ける。
 そこには、焼け焦げた樹木が立っていた。緑の葉々は焼き落とされ、白かった樹皮は真っ黒に炭化していた。だが、あれだけの火力にあっても、樹木としての原形は留めていた。
 それは別に、ギルバートの魔力が見掛け倒しだったワケでは無い。強力な火力をただ垂れ流すのではなく、破壊すべき対象を選ぶほど緻密に統御されているが故の結果。
 試しに炭化した樹皮を剥がすと、皮一枚下には、まだまだ若々しく逞しい樹木の芯が残っている。
 その結果にギルバートは薄く笑い、
 ガン!
 力任せに、黒い衣を纏った樹木を殴り付けた。
「ダメだよ……この程度じゃ……」
 ツ……と、殴り慣れない拳の皮が破け、血が流れた。
 金色に光る朝日の中で、少年は一人、光を返す雫で頬を濡らしていた――



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