あまりの痛烈さに、どこがその発信源か、瞬間的には理解出来なかった。
右足から力が抜け落ち、バランスを失う。ガクリと膝が折れた。
大地にうつ伏せ、右足を見遣る。その太腿に、見慣れた何かが生えていた。
「何か」はダガー、そのポルメ。それは「生えて」いるのではなく、深々と刺し突かれていた。
焼けるような激痛は、それが原因だと知れる。
「グッ……!!」
苦痛に情けない呻きを上げながらも、処置を急ぐ。
左目を隠す布を剥ぎ取り、一本の長い紐状に解
夜気に晒されどうにもムズ痒い左半面を一先
マントの一端を口に含むと、ダガーを一息に引き抜いた。絶叫寸前の呻き声が、喉の奥から滲み洩れる。
「お兄ちゃん、大丈夫?!」
苦悶の呻きの中、ブハッとマントを吐き出しながら、
「問題無い。心配すんな」
本音とは真逆の答えで返す。それを鵜呑みにしたワケでもないだろうが、リルはそれ以上何も言わない。
一連の応急処置を終えると、ダガーが飛んで来た方――イレスの死体が転がっていたはずの方向に目を向ける。
……おいおい……
非常識な現実を前に、思わず突っ込みだって入れたくなる。
そこには、イレスの死体など転がっていなかった。理由は到って簡単。イレスは死んでなどおらず、そして二本の足で確かに立っていたから。
頭の上半分をスプラッタに変えながらも、外れた下顎を傷口に重ねていた。その姿は入れ歯か何かの噛合いを直しているかのようで、ひどく滑稽に見えた。
顎から手を離し、二・三度口を開け閉めする。納得いかないのか、顎を左右へ軽く振ってから、もう一度同じ作業を繰り返していた。
「あ、あ、あ。あえいうえおあお――うん、大丈夫ですね」
簡単な発声練習に漸く納得をいかせたか、血に汚れる顎周りを軽く拭った。恐ろしい事に、傷痕は綺麗に消えて失せていた。
「いやァ、驚きましたよ。お強いんですねェ、簒奪者殿は。しかも、容赦も無い。とってもエクセレントです。未来の召使いとして、これ程望ましい素体に出会ったのは初めてですよ」
先刻までと何ら変わらぬ、身振りを交えた口上。違っているのは、上頭部が陥没し、ひどくシュールな絵物語みたいになっていると言う事だろう。
「ですが、油断しましたね?この程度で僕を殺せると誤った確信を持ってしまった。貴男は僕の巧妙な『奥の手』に引っ掛かったのですよ。解かりますか?」
潰れた頭を左右から押して、まだ歪
非常識極まりない体質に戦慄と羨望を覚えながら、俺は答えた。
「俺のダガーを必死に避けた事だな?それじゃ致命傷になどなりはしないのに……」
俺の回答に満足げな笑みを浮かべながら「正解です」と返した。
「僕の体は少々特殊でしてね。斬った叩いたじゃ死なないんですよ。でもそれを誇示してしまえば、貴男のような優秀な戦士は僕が動かなくなるまで油断をしないでしょう。ですがああ言う演技をうっておけば、勝手に自分達の体質と重ね合わせて油断をしてくれます。結構効果的なんですよ?相手が優秀であればある程ね」
「知ってるさ。俺も、よく使う手だ」
「おや、奇遇ですね。で、いつお使いになるので?」
「フン……とっておきの場面で、さ。生死の一線を隔する、そんなとっておきの場面」
「ハハハハ。さっきも言ったと思いますが、出し惜しみはよくありませんね。そう言えば、リンカ殿を焼き尽くした炎術もまだ残しているのですよね?一体何ですかね?八魔王
クックッと小さく笑い声を零した。
「そう、破壊を司る四源龍
「正解だ」
「え?」と言う、間抜けた一文字。それを気にも留めずに、俺は魔術師ギルドで教わったキーワードを、一時一句違える事無く言継げた。
「《焼き尽くす者 九頭
印組みは必要無い。ただイレスの足元に注視する事だけを忘れずに、俺は更に言葉を繋ぐ。
「仄
キャストにも似た朗々とした言葉の連なりに、イレスは素早く印組みの構えを取る。魔術師で無い俺には解からないが、恐らく魔術対抗か何かの準備だろう。
構わないさ。どうせ、「対魔術用魔術」では効果は無い。
俺はわざわざ言ってやったよな?これは、ドラゴンの力だ。魔術ではない。
焼き尽くしてやろう、曲がりなりにもドラゴンの炎で。
「"龍樹・咲乱
瞬間、炎が吹き荒れた。イレスを囲うように、地面の六ヵ所から同時に。
爆音が轟き、イレスの悲鳴を飲み込む。爆炎が花咲き、イレスの姿を焼き尽くす。
余波が生み出す熱風からリルを守るようにして覆い被さる。
炎の風が失せた頃、そこには黒々と焼けた人型の芯が、メラメラと闇を焼いていた。
フゥと、俺は汗を拭った。熱気が炙った全身から、ドッと汗が流れた。
何?「技の正体を知りたい」だって?残念ながら教えられない。怒るなよ。別に意地悪や出し惜しみじゃない。単に「技」なんて代物じゃないからだ。あれは「アイテム」。アイテムを使って引き起こした俺の『奥の手』その1だ。
アイテムの正体は、胸ポケットから零れ落ちた仄黒い鉱石。『火龍石』と呼ばれる、稀少鉱石だ。
『火龍石』。火龍ヴェルヴァルドが住むと言われる山間
火龍石は術式処理の過程で定めたキーワードを精神集中
「フゥ。今度こそ終わっただろう」
グラリと身を崩す「イレスだった物」を確認して、俺は安堵の息を吐き出した。これで「実はまだ生きています」とか言われた日にゃァ、今の俺にはどうしようも――
生まれる殺気。粟立つ肌に、俺は抜き身のダガーを慌て構え――ギン!!!――られない!
耳の奥底まで劈
吹き飛ばされたダガーは、乾いた音を立てて大地を転がった。
「何て事なさいますかねェ?」
声が聞こえた。当然、俺の声じゃ無いし、罷
真黒い全身に二つ、黄色い光が浮かんでいた。それが瞳の色だ気付くのに、余計な詮索は必要なかった。
ボロリと崩れる炭化組織の下に、色白な肌が覗いた。
後は自然に崩れ落ちるのを待つのでは無く、全身を作為無く暴れさせて剥ぎ落とした。水濡れた犬か狼のようだと、何となく場違いな感想を抱いた。
脱皮直後のイレスは、頭髪を初めとする体毛は全て抜け落ち、例のタキシードも焼き落とされて全裸だった。先刻とはまた別の意味の成人指定に、慌ててリルの視界を遮った。
「ああ、未来の花嫁殿が相手とは言え、レディーの前ではしたなかったですよね?」
気付いた時、奴の肌からムクリと盛り上がるようにして黒色のタキシードが現れた。ってコラ、自前かよ……。
続いて毛髪と眉とはフサと見る間に生え揃い、元気なままの状態に戻った。
中々どうして、舐めてんのか?こっちはもう満身創痍だ言うのに……!
「ところで簒奪者殿。先程のアレ、噂に聞く『火龍石』と呼ばれる物ですか?少し、オイタが過ぎましたよ、今のは。初めてだったんですよ、『死』と言う物を身近に感じたのはね」
「ハッ!折角だから『死』とお手々繋いで逝っちまえばよかったのによ」
「ハハハ。その生意気な口聞きを軽く流してやるにはもう、堪忍袋の緒も切れました」
カッと見開かれる瞳に、赤光。
ジリオンが狙うのは、俺の眉間。脳味噌を抉り取ろうとでも言うのだろう。上体だけを振り、その一撃を躱す。
「キャァ!!」
背中で聞こえる悲鳴。しまった、後ろにはリルがいたんだ!!
振り向けば、夜風に乗って旅に出掛ける金色の髪。肌には掠ってもいなかったのは、運が良かったのだろう。
ここにいてはリルに被害が及びかねない。俺は舌打ちを鳴らし、辛うじて元気な左足を叱咤した。
「逃がしませんよ!!」
イレスを中心に円を描いてリルとの距離を離す俺を追って、ジリオンが次々と撃ち出される。耳元を掠める音が恐怖を誘う。
一発、二発、三発。秒単位の間隙を空けて単発発射しか出来ないのが幸いする。左足が地面を踏む衝撃にさえ激痛が走る右足を引き連っていても、生死の一線上で躱し続ける事が可能だった。
額に痩せ我慢を形にした脂汗が浮かぶ。いつもより緩慢な動きにさえ耐え切れず、それらは顔の輪郭に沿って流れ落ちた。
数えて十六発目。ジリオンが俺の左肩を掠った。
「ガァ!!」
獣じみた咆哮。自分がこんな情けない悲鳴を上げるとは思ってもみなかった。鎖骨に掠ったジリオンは、耳にジュッと言う音を残して、左腕の力を奪った。
半月状に抉られた傷口に触れてみたが、血のヌメりはない。肉の一部が炭化する程の熱が、幸か不幸か傷口を塞いでいる。
激痛に視界が霞み、足元がつんのめる。鼻面から土の上にダイブしながらも、どうにか素早く体勢を立て直す。とは言っても両足からは体を支え続けるだけの体力は失われ、左腕も碌に動かせない。頼みの綱の『火龍石』も効果は望めず、ダガーさえも掌中から遠く離れる。
これがいわゆる『絶体絶命』?奥の手その2は意表を突くだけのフェイント技だしな。……そうなると……。
「さァ、鬼ごっこも終わりにしましょうか?」
甚振
「元気であれば窮鼠でさえも噛み付く力を出せましょうが……どうやらその元気さえも無いようで?」
動かない左腕。唯一残った窮鼠の牙。研いでみるのも悪くは無いだろう。
俺は天を仰ぎ、瞳を閉じた。
「おや?諦めましたか?」
諦める……?だったら、八年前のあの日に、既に人生断ち切っているさ。
「それではそろそろ死んでもらいましょうか。折角ですから、派手に殺してあげますよ。喜びなさい」
思い出せ。あの怒り。幸せだった家族をバラバラにされた、あの怒り。
父を、母を、姉を、弟を。バラバラにされたあの怒り。
摺り切れた糸のように千切られた左腕と、泥中の石コロのように抉られた左目の痛みと、あの怒り。
覚えている。あの三つの光。金に似た黄色の光。爛々と輝き、その光の持ち主は両親の手足を摘み取り、弟の足をもぎ、姉の体を玩
その中で怒りの渦に巻かれながら、何も出来無かった俺自身への怒りを。
思い出せ!!
「《天の蛇 疾き風の申し子 金色の光の化身」
ズキリと、左腕が疼き始めた。だが、足りねェ……。怒りが……?違う。それをもっと研ぎ澄ました、心を食らう負の感情が。
魂の中で猛れ。黒く渦巻く怒りよりも、もっともっと激しく。
心を塗り潰せ。真黒い怒りさえも飲み込んで、熱く滾
「此に舞い降りよ 此で舞い踊れ 地を這いつくばる小虫を嘲笑え」
ジジジ……とか、そう言う甲高い音が耳障りだった。心を殺意に委ねる俺には、その細かな音さえ苛立ちの原因となる。
塗り潰せ。忘れていたあの殺意で。
焼き尽くせ。甘えた心を凌駕するあの殺意で。
「グアァ?!」
唐突に響く悲鳴に、形となった殺意が霧散する。深い過去に潜った思考が現実に呼び戻される。俗に「我に返る」とも言う。
驚き、瞳を抉
「この……!!」
キャストを中断せざるをえなかったイレスが、右手一本でリルを胴上げた。首を掴み、吊るし上げるように。その時になって、漸く状況を把握する。
イレスの左脹脛
あの馬鹿……恐怖にトチ狂ったか?!
「この、売女
怒りの絶叫と共に、リルを投げ飛ばした。
俺の頭上を飛び越えようとするリルを、足腰に最後の喝を入れて全身で以ってダイビング・キャッチした。
腹を打つ、人一人分の衝撃。受身さえままならず、背中を打つ衝撃。目が眩み始めた。正直、そろそろヤバい。興味も無いのに「人間の限界」に挑戦気味。
「馬鹿野郎……!!ジッとしていろと言っただろ!!」
言っていなかったような気もするが、どうにか身を起こしながらリルに向かって声を荒げる。
全身に伝わる、刻み震えるリルの体。差し迫ったばかりの死への恐怖に対してか、それとも刃物で人間――に似た魔人――を傷付けた自分に対する恐怖か。もしかしたら津波のように押し寄せた残酷な現実に対する恐怖かもしれない。
「気の強い婦女子は魅力的ですが、夫に刃を突き立てるのはいただけません。これは許されざるマナー違反、タブーですよ」
イレスの口上には明らかな敵意が潜む。飼い犬に手を噛まれた、とでも思っているのだろうか?リルが貴様の物だった事などありもしないと言うのに。
逃がすべきか?いや、イレスが魔術をもって俺達を殺そうと言うのなら、寧ろ俺のそばにいた方が良い。しかし、魔術から守ってやったとして、その先はどうする?奴を仕留める手立てが無ければ、死の瞬間を先伸ばすだけじゃないのか?
ズキリと、もう一度左腕が疼いた。先刻の僅かな蓄えが残っているのだろう。しかし、まだ足りない。切羽詰ってイレスの殺意さえも餌にしてみたが、それでも駄目だ。この程度の疼きじゃ、イグニスファタスどころかアルスヴィズにさえならない。もっと強い殺意が――
ドクン……!!
?!?!?! !!
疼きが大きく……?!いや、これは……脈動?!何だ、この……渦巻く程の……?!
殆ど動転するも同様。中断したキャストをリブートさせるイレスからさえ視線を外し、その出所を探す。
――許さない
囁き。掠れ、消える、しかし力強さだけはふんだんに孕む囁き。
耳を澄ませばイレスのキャスト。それに紛れて、か細い声――少女の声――。
「許さない……!!」
「ガキんちょ……?」
頭上から、その瞳を覗き込む。
「大好きなお姉ちゃんをあんなふうにした……お姉ちゃんにパパとママを食べさせた……お姉ちゃんに私を殺させようとした……アイツを、私は絶対に許さない!!」
――舐めていたらしい。ただ震えて現実が過ぎ去る事を待つしか出来ない、弱い幼子でしかないと思っていた。しかしその双眸に宿るのは――現実さえも薙ぎ倒そうとする、明確な殺意。
リルはそれを実行した。殺意だけを抱きながら何も出来無かった俺とは、そこが違う。
イレスのキャストの流れに付き随うように、大気が帯電し始めた。先刻のジジジと鳴っていた音は、この帯電の音だったようだ
「ガキんちょ」
声が押し殺されるのは、今から行なおうとする人道に反する行為に後ろめたさがあったから。それでも、俺が生きる為、リルを生かす為、何より、魔を滅する為。俺には、踏み止まる事など出来はしない。
リルが、ゆっくりと反応する。見上げる顔は、連続して降り掛かった悲運と、小さな体に納まり切らない殺意で憔悴しきっていた。
「憎いか?あの魔族が」
間髪入れず、首を縦に倒した。
「どれくらい憎い?」
解答の解かりきった問い質しを愚問と呼ぶなら、俺のこの問いは正しく愚問だ。初めてこの左腕を手に入れた時に勝るとも劣らないこの脈動を感じていれば、自
それでも、俺はリルに問うた。もしもリルが「それ」を自覚していないのなら、リルは自分の醜さに気付かないまま生きていける。淡い期待で、それを確認したかったのだ。
リルは、答えた。簡潔に。
「殺したいくらいに……!!」
小さな口から絞り出す。大きな瞳一杯に溜めた涙が、土埃に汚れた頬をツゥと伝った。
ったく。酷いヤツだぜ。自己嫌悪って気持ちを、久方振りに味わった。それもまだまだ序の口だけどな。
「そうか。それじゃぁ――塗り潰せ」
右の人差し指でイレスを突き付け、そう言った。
リルの双眸が、キャストも佳境に入ったイレスへと向かう。
「お前のその、生まれて初めての殺意って感情で、他の全てを塗り潰せ。視界に映る全てを赤く。心を隈無く炎の赤で。アイツだけじゃねぇ。全ての魔物と、全ての魔族に向けて余りある程に、殺意の赤で塗り潰せ!!」
左腕がざわつく。「早く、早く」と俺を急かす。
「開け 霹靂
帯電した大気から、紫色の無数の雷達が乱れ舞った
さて、突然だが。ドラゴン、と言う存在を知っているか?そう。神話の時代、対魔族用に創り出された神の側の生物兵器。彼達は魔術を無効化する生体と、ブレスを初めとする"龍術"と呼ばれる力を使う。
"龍術"とは、自然に内在する力を刈り取り、そのまま破壊へ転化する究極の破壊術の総称。伝説によれば、火龍ヴェルヴァルドは山をマグマの川に変え、水龍アクリアリエは大陸を海に沈め、地龍ガドルウァッハは大地を灰燼へと還し、風龍エリアルシェードは大地と海を巻き上げる嵐を見舞ったと言う。――伝説だ。鵜呑みにするな。もしもそれが真実だったなら、今の世界は神話時代のミニチュア版だろうさ。
そんな四匹の超生命・ドラゴンは、神話創世の時代からその生を続けている。時を超越した寿命を持つのか、はたまた人の知らぬ間に世代交代を成しているのかは定かでない。しかし、ドラゴンと言う種が現実に生きている事だけは揺るぎ無い真実。
断言出来る。そのたった一つの理由は、過去に俺自身が見
信じられない?ま、そうだろうな。俺だって信じられないさ。山のような巨大な四肢と、九つの頭を持った紅鱗の火炎王ヴェルヴァルドと出会っただなんて。
ヴェルヴァルドは言った。その巨大な顎を動かす事無く、直接脳に響く不思議な声で。
火龍の食する実とは人の感情。殺意と言う名のドス黒く燃える赤熱の感情。
俺は誓った。一瞬の躊躇いも、思考の迷いも無く。
朝起きるたびに思った物さ。「もしかしたら、長い長い夢だったんじゃ無いのか?」って。「目を開ければ、父さんや母さんや姉さんやマーティンが起こしに来てくれているんじゃないのか?」って。鏡を見るたび、映る左目と左腕を見るたびに、現実だったと思い知らされてばかりだけどな。
今にして思うと、よくヴェルヴァルドの偉容に恐怖しなかったものだ。
おっと、視界が晴れてきた。紫電の乱舞が薄れてきたようだな――
紫電のうねりに掻き消されていたイレスの哄笑が、紫電が失せるに従って聞き取れるようになる。更に紫電が消えていくと、今度はその哄笑が尻窄みに消えて行く様が聞いて取れた。
「バ……カな……!!」
明らかなる狼狽。紫電に焼け焦がされた二つの感電死体を期待していたのだろうが、期待外れだったな。俺だけじゃない。リルもピンピンしているぜ。
俺の奥の手その2。やっている事はイレスと同じ。意表を突くフェイント。「魔術が利くとみせかけて、実は利かない」ってェ奴だ。だけど、それももう必要無い。一撃必殺の術
「その目……いや、その腕は、一体……?!」
俺の顔を見ながら表情を強張らせるのはイレスだけじゃない。リルもだ。
そりゃあ、眼帯を焼き切って紫電の嵐がこの左目に吸い込まれる様は異様だろう。そして、肩越しに見える腕が別の生き物のようにのたうつ様は、気持ち悪い以外の何物でもあるまい。
俺の左腕は、すでに腕と言う形からかけ離れていた。ビッシリと覆う魚鱗は鋭く尖り、布の覆いをズタズタに切り裂いていた。
関節はもはや見当たらない。関節以外のどこででも、縦に横に、右に左に身をくねらせて、宙を泳いでいる。
掌であった部位もすっかり変容を終え、別物と成る。人差し指から薬指までの三本が一つになり、親指と小指も一つになって、ゾロリと獣牙の並ぶ頭と化す。
「単眼の――蛇?」
「蛇?失礼じゃねェか?俺の奥の手その3、貴様ら魔族の天敵たるドラゴンによ!!」
それは、蛇に似て非なる破壊生命。赤い鱗を持ったドラゴンだった。蛇ならば眉間に当たる部位には、一つの大きな瞳が赤く揺れていた。
「あと、こいつは単眼じゃねェ。こいつは、隻眼だ。解かるか?その片割れの場所が?」
紫電の嵐をすっかり飲み込んだ頃、イレスは恐怖に掠れる声で答えてきた。
「その……瞳……」
ドラゴンの隻眼を指しているのでない。俺の左目を指しながら答えている。
俺は、笑った。
「正解だ」
そう、左の眼窩に納まる、この目。赤い炎のような瞳を持った龍眼が鎮座している。
「嘘だ、そんな出鱈目
叫びながら、ジリオンを乱れ討つ。合わせて四発。俺の眉間と心臓と、リルの頭蓋と腹を狙うが、その全てが軌道を外れて俺の左目に吸い込まれる。もはや、隠す必要もあるまい。
「偽物だ!!トリックだ!!そんなはずがあってたまるか!!貴様は一体、何者だ!!!」
別に、それに応えようと言うつもりだったわけではない。ただ、自分自身に言い聞かせるためだけだったのだと思う。俺は、呟くように名乗りを上げた。
「俺の名は、エティル。エティル=ナーガルジュナ。"龍樹
自暴自棄になって印組みを始めるイレス。もう、勝負は決まったな。冷静さを欠き、直接殴り付けようと言う事にまで考えが回っていない。
「リル。もう良いぞ。危ないからどいていろ」
言って、自前の右腕で突き放そうとしたが、リルはギュッと俺に抱き付いた。何なんだ?一体。
俺にしがみ付いたまま、リルは首を左右に振った。イヤイヤとするように。
「私が言ったんだモン。私が自分で『殺したい』って言ってんだモン!!お兄ちゃんにだけそんなイヤな事やらせて、私だけ逃げたくなんかないんだモン!!」
――ったく!いてもいなくても、どうせお前にゃ手を汚させねェのによ!どうしてこう、可愛げがないんだ、このガキは。どうしてこう浅はかなんだ、このガキは。
右腕で、リルの頭を胸元に引き寄せた。全身を巡る激痛が嘘のように引いたのは、多分「嘘」なんだろう。
「自分の背負う業の重さに、将来苦しんでも知らねェぞ」
胸の中で、リルが大きく首を揺らした。
「青き氷の乙女 その美しき腕を伸ばせ 浅ましき男共を貫き殺さん為》!!」
イレスの眼前に生まれる巨大な氷鏡。そこから撃ち出される無数の氷の槍。俺達を貫き殺そうと、数に物を言わせて襲い来る。
無駄な足掻きだ。ドラゴンの口から涎のように漏れる炎が、闇に紛れて消えて逝く。
俺の意思に呼応して、ドラゴンの鎌首がピタリとその照準をイレスに合わせる。あとはそう、一言呟くだけ。
「火光の剣
ドラゴンの口から円錐状に吐き出された炎の奔流は、襲い来る氷の槍と、それを吐き出す氷の鏡と、それを創り出したイレスと、それを含めた大地の一部を、ドロドロの溶岩に変えて消えた。
幕切れってのは、得てして拍子抜けな物なのだよ。