龍の樹 5
青い瞳の同行人パーティー・フレンド

「って事があったわけさ。かれこれもう六年前かな?」
 そう言って、左腕と左眼に関する事だけは秘密にしたままの長い昔話に区切りを付けた。
 対面の席でなまめかしい唇にワインを流し込む美女に、俺は微笑み掛けた。
 俺は、エティル=ナーガルジュナ。つい先日、二十五によわいも繰り上がった。
 いつものあの怪しい風体だが、右半面の美貌と、怪しい雰囲気に惹かれてくれる女性も多い。目の前でアルコールの相手をしてくれる妖艶の美女も、そんな奇特な女性の一人だった。青い瞳に茶色がかった黒い髪。肌蹴はだけた胸元は豊満な膨らみで視線を釘付けにする。
「へェ……じゃァ、その覆った左半分の顔は、醜く爛れているのかしら?」
「お恥ずかしながら」
 少し演技めかして肩を竦めた。
 ここは"火の都"ルスト。その中心街に居を構える冒険者の店《月明かりの旅路亭》。冒険者の店と聞けば普通の人は結構敬遠するのだが、勇気を出して食事に来てみれば結構気さくな冒険者も多い。それに、上品な店では出してくれないような珍妙で大味な食事を出してくれる。だから時折奇特な上流階級者も利用する事がある。とは言っても、そう言うのは極めて稀な例だけどな。
 まぁ、そんな事もあって、冒険者の店としてルストで一・ニを争うこの《月明かりの旅路亭》には、色々な種類の人間が集る。冒険者だけではない。護衛を求める商人や、荒事に目を光らせる私服役人。おっと珍しい、魔術師風の少年少女も入って来た。好奇心旺盛な仔猫のような少女と、マスターに子供扱いされてムッとしている少年だ。表情を隠しているようだが、長年の人間観察にけたマスターには見破られているぜ?それよりも、「ヤレヤレ」と言う気持ちを隠し通しているマスターの方が、ポーカーフェイスが巧い。
「ふ〜ん。ちょっと興味あるなァ。ねぇ、見せてよ?」
 四人掛けの机で、対面から席を移る。隣の椅子に座った美女――名前はミシェル。ダンスホールの前座を勤めた事もある、ダンサーの卵だ――が、ほろ酔い加減の艶めかしい顔を俺の胸元にしな垂れかからせた。ニヤケそうになる表情を引き締めるのには一苦労だ。
「構わないぜ?けど、こんな明るい所じゃ恥ずかしいしよ。どうだい?この店の二階の寝室で……」
 俺が言うと、頭を胸板に預けたまま、ミシェルは言う。
「あら、初対面の女性を相手に、手が早いのね?」
「俺は君を見たのは初めてじゃない。半年前の君の初めてステージからずっと、君の事だけを見てきた。これで断られたら、所詮俺はそこまでの男だったって事さ」
 フフ、と、ミシェルが妖艶に微笑んだ。アルコールは、中年オヤジを醜く変え、美女を更に美しく変える魔法の媚薬だ。
「でも、アルコールの一つ二つで釣れる程、私は軽い女じゃないわよ?」
「知っているよ。君をベッドに誘うのに、たったそれだけしか用意していないわけないだろう?」
 そう言うと、俺は懐から小さな箱を取り出した。
 しなれかかるミシェルに手渡すと、彼女は白魚のようなその指で箱を開いた。
 果たして中には、艶やかな装飾と派手な宝石をちりばめたリングが納められている。
「……これを、私に?」
「そうじゃなかったら、君に見せたりしないさ」
「でも、高かったんじゃ無い?」
「勿論。一昨日終わらせた魔物退治の報酬の五割が飛んでいっちまったからな」
 それでも、美女との甘い一夜の為なら安い物だ――そう、一夜だ。もしも彼女の方が望むならそれ以上の数の夜を伴にする心構えはあるが、こちらから二夜三夜を迫る程惨めったらしい男じゃない、俺は――。
「どうだい?気に入ってくれたかい?」
「ええ、勿論。でも、まだ日が高いわ。もう少し、ここでお酒のお付き合いをしてから……」
「そいつァ重畳ちょうじょう。さ、誓いのキスを……」
 ミシェルの艶やかな顎先をクイと上げてこちらを向かせると、緩りとした動作で唇同士を重ねようとした。
 その瞬間、頬に走る痛み。
「駄目、そう言うのはベッドの中に入ってからよ?」
 ってな言葉が続いたのなら、特に驚きもせずに苦笑で終わらせていただろう。しかし、違った。
 右頬に走った衝撃に、俺は椅子ごと派手に弾き飛ばされた。
 床を無様に転がり、四人組の同業者達が酒をみ交わす机の足に頭をぶつけて止まった。
 右の奥歯を噛合わせると、何だかカチカチと音がした。折れたか?それとも、気のせいか?
 四人組に美人な姉ちゃんがいたから、彼女にだけ謝った。他の三人はいきり立ったが、どうやら美人さんがなだめてくれたらしい。何やら悪態をつきながらも、四人は「触らぬ神に祟り無し」とばかりに席を移した。
 激痛の残る頬を抑えながら、俺は自分がいた席を慌て見た。
 支えを失ったミシェルが床に頭をぶつけて呻きながら、天井を仰ぎ見ている。
 ミシェルの椅子のすぐ後ろでは、年の頃なら十六歳の快活そうな少女が険しい顔で立っていた。
 美しい金髪はポニーテールにわえられており、顔立ちは美人と言うより可愛い。とは言っても、今はその表情には険が強く立っていたが。
 白を基調とした衣裳は動き易さを重点に置いたシンプルなデザイン。丈の長いスカートの両側には長いスリットが入り、足の動きを邪魔しないような造りになっている。
 少女はそのスリットから蹴り抜いた右の御々脚おみあしを見せ付けていた。軸足にした左足だけでバランスよく立ち尽くすその姿は、一つの立派な彫像としても持てはやされそうだ。
 俺は少女を知っている。そして、君達も知っているだろう?そう、リルだ。六年前の「大人しい」感は身を潜めているが、元気に――俺の右頬を爪先で容赦なく蹴り抜けるくらい元気に――成長してくれた。
「テメェ、ガキんちょ!!何しやがる!!」
 俺の言葉に、リルが漸く足を下ろした。そして言った。
「報酬」
 ポツリと。
 ピクリと。俺の動きが止まった。
 暫らくの沈黙をどうやって取り繕おうかと悩みあぐねた挙句、
「何の事だ?」
 シラを切る事に決めた。
 シンと静まり帰る酒場に、リルが床を踏むコツコツと言う音が妙に大きく、不自然に響いた。
 俺の目の前まで進み来て、リルは腰に手を当てた。
「お兄ちゃんだけじゃなく、私と、ギル君と、ファルさんの四人で稼いだ、魔物退治の報酬。きっちり3000[drs(ダリク銀貨シルバー)]、報酬の半分が無くなってたのよね。今日、私が起きたらさ」
「ちょっと待て、その時は俺じゃねェぞ!!」
 ――あっ。
「ええ、その時・・・は、ね。でもね、更にお兄ちゃんがどこかに出掛けた頃にさ、残った3000[drs]もアラ不思議、どこかに消えちゃったのは何ででしょうねぇ?」
「ハハハハハハハハ」
「笑って誤魔化せると思ってるの?!」
 思ってません。って、ちょっと待て!!
「それよりも、初めに無くなった3000は何処行ったンだ?!」
「ファルさんよ!!あの人、また報酬持って賭博に行ったに決まってるわ!!いつもいつも大負けするクセに、好い加減にしなさいっての!!!!」
 ガン!!と床を蹴った。近くにいた俺にだけ、床がイヤな軋みの音を放った事実に気付いていた。因みに、ファルって言うのは同じパーティーを組むエルフの女性で、フルネームはファルフィンリットと言う。エルフのクセにギャンブルマニアと言う困ったちゃんだ。
「だったら、先にファルを探せよ!どうせ闘技場だろう?!」
「行ってもどうせ門前払いよ!これだから未成年は損なのよ。ギル君も未成年だし」
 ギルってのは、同じくパーティーを組む魔術師。フルネームはギルバート=レルディア=アグラルホルス。年齢はリルとタメ。ちょっとした事情により、同行する事となった。
「だからこうしてお兄ちゃんを探しに来たんだけど……それとこれとは関係無く、勝手に軍資金を持ち出すなって言ってるでしょう?!なんでお兄ちゃんもファルさんもそこらへん解かんないのよ!!!!」
「言ってもなァ。もうミシェルさんにリング買ってやった……あれ?!」
 見れば、既にミシェルさんは何処かへ去ってしまっていた。勿論、リングも無い。
「ああ!!ガキんちょ!!貴様のせいで逃げられちゃったじゃないか!!」
「何泣きながら情けない事言ってンのよ!!泣きたいのは私の方よ!!どうすんの?!今月もまた赤字じゃない!!宿屋での私達の肩身の狭さ、解かってないの?!」
五月蝿うるせェ!!パーティーリーダーはこの俺だ!!文句を言うな!!」
「リーダーならリーダーらしい威厳見せてみなさいよ!!この間男!!」
「てめ……!!誰が間男だ!!」
「文句があるなら掛かって来なさいよ!!殴り返してやるから!!」
 言うが早いか、リルのコンパクトなショートアッパーが俺の顎を狙う。鋭く早い、が、甘い。油断さえ無ければ、まだまだ未熟なお前の攻撃など避けるに造作も無い。
 深く身を沈ませると、俺は拳を固めた。とは言っても、殴る為じゃない。何だかんだと言っても、女性に手を上げるのは俺の趣味じゃない。
 立ち上がり様に、俺は拳を振り上げた。リルの長いスカートの裾と一緒に。

オオオオ!!

 一瞬、湧き上がる歓声。リルと同い年な連中からなら解かるが、いい年したオッサンから湧き上がるのはちょっと怖い。
「フン。俺に逆らうとこうなるんだ。覚えときな」
 舞い落ちるスカート越しに、俺は言い放った。
 ヒラヒラと舞い降りながら、スカートは隠していたリルの顔を意外な程少しずつ曝け出した。
 目が据わっていた。なんだ?文句あるのか?って、まぁ、無いとは思わないが――

ドクン!!

――え?脈打つ左腕の衝動に、俺は自分の全身を疑った。
 チラリと左腕に視線を落としたたった一秒程度目を反らす間に、リルの表情が一変していた。恥じらいにか、怒りにか。リルの表情は紅潮していた。
 ちょっと――待て。本気か?
「私の今の気持ち。お兄ちゃんの左腕は解かってくれたようね?」
 ――本気らしい。リルの固めた拳が、ボキリと音を出した。
 ヤバい!!アレを食らえば、流石の俺も悶絶モンだ。とは言え、避けるから問題無いが。
 繰り出されるリルの拳の軌道を読み取ろうと、その両肩の挙動に注意を向け――
 ズム。鈍い音が鳴ったのは、きっと俺の中でだけ。鏡を見ていたのなら、きっと二度と忘れられない顔をしていた事だろう。野次馬の男連中だけが我が事のように苦悶を浮かべたのを、俺は気配だけで察した。
 右腕にばかり注意が集中し、不覚にも右の蹴り足に気付かなかったのだ。
 あまりの痛手に意識が遠退きそうになる俺の鳩尾に、右の拳が撃ち出される。鳩尾打ちソーラープレキサスブローって奴だ。
 悶絶の激痛に前のめりになる俺の顎を狙い、殆ど真上に撥ね上がる右の足刀そくとうが突き刺さる。
 天井を仰ぎ向かされた俺の視界を埋めたのは、振り下ろしの飛び踵落とし。俺が得意とする連携の一つだ。なる程、こりゃ強烈だ。
 脳天から床に叩き付けられた俺の耳に、吐き棄てるような一言が届けられた。
「最ッ低!!」
 ドスドスと荒々しい足音を立てながら、リルは俺を置いて酒場を出て行った。
 覚えてろ……二年後。二年後だ。お前が年齢も体も立派に成人になった時、ベッドの中でヒィヒィ言わしちゃる。
 ま、それもそれまで俺が生きていたらだが……。
 ――意識が、遠退いていく――

ヤベ……

 


「駄目だ。何言ってんだ?!」
 ルストの街。その街外れ。とは言っても、デカい城下町まであと一歩の、門の手前。
 イレスとの激しい戦闘からピッタリ四日後。まァ、概ね予定通り。イレスとの戦闘の間に逃げ出した馬は、仕方ないから踏み倒そうかなとか考えている。
 あれから早朝に掛けて運良く通りかかった神官様の家族の治癒を受け、俺はどうにか一命を取り留めた。悪運の強さは自分でも驚愕物だ。
 それから一日の行程は介抱を受けながら馬車に乗せてもらった。余談だが、左眼と左腕を隠し通す事は少々ながら面倒だった。
 馬車に揺られて一日も経てば、そこに小さいながらの町がある。その町で俺達は神官一家に礼を言って別れると、馬を借りてもう一度ルストを目指した。
 で、こうして予定通りの行程でルストに辿り着いたのだが。
 入国手続きの直前、俺が何気なく「さて、ここでお別れだな。お前の叔父にお前を預けて、あとは昔通り……ってのは無理な話だろうが、普通な暮らしに戻ってくれ」と言った。
 で、ここからが予定外。何だか突然、リルがグズり始めた。そして、リルは言った。
「私も、お兄ちゃんと一緒に旅をする!!」
 殆ど脳髄反射で「そうか」と流してから、俺は漸く現実に気が付いた。
「駄目だ。何言ってんだ?!」
 ってなワケで、今に到る。
「大体、何でお前はこんな血腥ちなまぐさい旅に同行したいなどとほざきやがる。ガキのピクニックじゃないんだぞ?!」
「解かってる!!前みたいな、怖い事だって沢山あるんでしょ?!」
「そうだ。そして、その時も前みたいにお前を守り通す自信は俺には無い。もしかしたら、例のアレでお前を巻き込む可能性だってある!!」
「だったら、私が自分の身くらい守れるように強くなる!!」
「駄目だ!!」
 俺がその一点張りになっても仕方が無いだろう?子供連れの冒険なんて危険すぎる。
「お前は何か?叔父と一緒に暮らすのがイヤなのか?」
「そうじゃない。ガイガス叔父さんは優しいし、面白いし、多分、私が押し掛けたって笑って迎えてくれると思う」
「だったら」
「でも!!」
 思いも掛けない力強さに、まさか俺が押し切られるとは思わなかった。
「私は知っちゃったの。私が幸せな暮らしをしている間にも、何処か知らない所で、私みたいに悲しい目に遭っている人だっているんだって」
 俯きながら、リルは語った。俺は黙ってその言葉を聞いた。門で構える衛視が、胡散臭げに俺達の方を見ている。
「だったら、私は少しでもその『悲しい』を救ってあげたい。私の頑張りで『悲しい』を減らせるのなら、一つでも多くの『悲しい』を助けてあげたいの」
 壁に肘を突き、俺はどうしようもない虚脱感に襲われた。
 四日前から、何度か心の中で思った事だ。
――どうしてこう、このガキは可愛げが無いんだ。
 気持ちは解からないでもない。だからと言って同情リルの同行を認めてしまえば、俺自身が『悲しい』になりかねない。そうなったら悲劇じゃなくて喜劇でしかない。
「言いたい事はよく解かる。それでも、駄目だ」
「何で?!お兄ちゃんが言ったんじゃない!!『全ての魔物と、全ての魔族に殺意を向けろ』って。だから、私も魔物退治をしたいの!!」
「忘れた」
 シラを切る。
「言ったわよ!!」
 平行線だ。俺は、一つ溜息をついて、最後の手段に出た。
「解かった。大人になったらな」
 その間に逃げれば良い。
「イヤだ!!お兄ちゃん、私を置いて逃げて行っちゃうモン!!」
 バレテーラ。
「だからと言って、子供連れってのはなァ……」
「だったら、今すぐ大人になるから連れて行ってよ!!」
「どうやってそれを証明するつもりだ?」
「それは……」
 言い淀む。当然だ。「解からないから」と言う理由でだ。「解かっていても、口にするのがはしたないから」じゃ無いぞ。
 言い淀む内が、言いくるめる格好の好機。だったのだが、
「解かった!!」
 遅かった。リルは顔を輝かせて俺に言った。
「『ヨトギノアイテ』が出来るようになれば良いんだよね?!」
 ガン!!頭を壁にぶつけて自爆した。痛い。
「お前、そんな言葉どこで――」
「え?お兄ちゃんが言ってたんじゃない。『ヨトギノアイテが出来るくらい大人になってから』って」
 ……言ったな、そう言えば。
「だけど、お前は夜伽の相手ってのが何か解かるのか?」
「それは……」
 良かった、解かっていなかったようだ。これで解かっていられたら大変だ。
 リルの困惑に胸を撫で下ろすのも一時の安心。リルは顔を上げてこう言った。
「お兄ちゃんが教えてよ」
「無茶言うな」
 何の冗談も無く、思わず真顔で返してしまった。
「何でよ!お兄ちゃんは、そんなにも私を一緒に連れて行きたくないの?!」
「そう言う意味じゃなくてそう言う意味もあるけどそうじゃ無くて教えられないんだよ!!」
 意味不明な事を口走ってる。
「良いモン!!誰かに教えてもらうから!!」
 何?!問い返すよりも前に、リルはクルリと踵を返すと、
「守衛さ〜ん」
「だアアアァァァァァァ!!!!!」
 そんなこんなでてんやわんや。一人気侭な流れ雲だった俺に、初めての仲間とやらが増える結果になった。そう、青い瞳を持った小さな小さな同行人パーティー・フレンドが。

All is over.
Thanks for your reading.
Please look forward to next story...



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