木目調の質素な作りのカウンターに、無造作に置かれた羊皮紙は二枚で対になっているようだ。
一枚目には何やら小さい文字でびっしりと規約が書かれており、開始早々に解読を諦めたくなるような行数である。
そしてもう一枚には依頼人の情報を記入する欄があり、レナスはまずそこから埋めていくことにした。
「ねえ、フィル。」
レナスはある事を思いつき、隣の席に座ったままソワソワと店の中を堪能中のフィリアに声を掛けた。
「僕が記入してる間に、こっちの紙に書かれてる内容を読んでいてくれない?ほら、さっきここのマスター、"しっかり理解しとけ"って言ってたし。」
聞いたとたん、フィリアの顔が曇る。
「え〜、そういうのは代表者のレナスの役目でしょ?私は代表補佐、及び隊長の役職に着く事にたった今決めたところなの。」
隊長が普通は皆の代表になるんじゃないのか・・・と思いながらも、ここまでは想定していた反応である。
すかさずレナスは切り替えした。
「あー、そうだよねぇ。フィルにはちょっと内容が難しすぎるものねぇ・・・。」
仕方ないかという風にカウンターの書類に顔を向き直す。
「ちっ、違うわよ!こういった文章の内容把握なんか、私が本気を出したらアッという間なんだからねっ!」
心外だといわんばかりに、顔を赤くして捲くし立てるフィリア。
よし、あと一息だ。
「いや、無理しなくても大丈夫だよ、フィル。僕にはちゃんとわかってるから。」
そう、本当に解りやすくて困る。
「くぅ〜っ!そこまで言うのなら、その紙貸して見なさい。一字一句漏らさずに理解してあげる。そして、自分の愚かさを呪つつ、私を甘く見てしまったことに涙を流しながら、謝罪の言葉を未来永劫、並べ続けるといいわ!!」
そういう言い放つとフィリアは、一枚目の規約の書かれている紙を乱暴に奪い取った。
任務完了。
レナスは心のなかで、拳をぐっと握り締めた。
ハガードが店の奥に入ってから、そろそろ半刻が過ぎようとしていた。
大方の項目記入も終わってしまい、少々待つのに疲れてきた。
フィリアはというと、本当に凄い速度で規約を読み終え散々文句を言っていたが、やはり待ちつかれたのだろう。静かだなと思ったら、カウンターにうつ伏せに寄りかかっていた。
愛用している銀製懐中時計で時間を確認すると、肩肘をついたままレナスはため息をついた。
ここは確かに賑やかだが、少々騒がしすぎる。
「悪ィ、待たせたな。」
背後から急に、重低音な声を掛けられた。
驚いたのか、まどろんでいたフィリアの肩が跳ね上がる。
振り向いた先には、ハガードが腕組した状態で立っていた。
この店の小間使いか何かだろうか、傍らに二人の子供が一緒にいる。
一人は男の子で、この国では珍しい、黒髪に黒い瞳の持ち主だ。
どこか異国の出身なのだろう。
気の抜けたぶっきらぼうな表情から感情を読み取るのが難しそうだ。
寸法を間違ってしまったのか少し大きい感じの、これまた珍しい服装である。
どこかの国で伝統とされている特有の衣服であったということを思い出すが、その国の名前と関連書物が思い出せない。カイン導師に知られたら怒られそうだ。
もう一人は女の子で、淡い緑輝石の様な色合いの髪が印象的であり、瞳には澄んだ青色を湛えている。愛らしい顔には微かな笑みを浮かべている。贔屓目に見ても隣の男の子に比べて好感が持てた。
ただ気になるのは、その出で立ちが神官候補生のそれであることだ。真っ白い裾の長めな外套を纏っており、その胸には水の国"ミステル"の国紋を象ったブローチが、静かに輝いている。
神官候補生といえば、寄宿生活であり、そこで重んじられる規律は、魔術師ギルドのそれより遥かに
厳しいと評判である。何せ彼らは敬謙な神の使徒であるのだから、神殿の敷地外に出ること自体良しとしないはずである。
男の子はともかくとして、この子はどうやら小間使いなどではなさそうだ。
「ああ、お前さんがたも、そこに座ってくれ。」
二人の子供に、カウンターの席に座るように指示するハガード。
「ん。」
っと返事をすると男の子がフィリアの右横の席にちょこんと座った。その右隣に同じように女の子が続く。
「さて、諸君。話を始めるとしよう。」
いつの間にかカウンターの中に戻っているハガードが、わざとらしく咳払いをした。
「まずは、魔術師の兄ちゃん。先程渡した契約書を見せてくれ。」
レナスは、先程の羊皮紙を手渡した。
真剣な表情でそれに目を通した後、ハガードは威厳のある声でこう尋ねて来た。
「簡単な事項だけの確認行う。依頼人名義、レナセス=クルグ=ランフォード。年齢十六、魔術師ギルド所属。位は正弟。以上の情報に間違いはないか?」
その問いに肯定を示すため、ただ首を縦にレナスは振った。
先程とはうってかわって、全てを見透かされているようなハガードの特有の雰囲気に飲まれてしまい、声が出せなかったというのが正しい。
「さて、それでは、お前さんが魔術師ギルド所属の人間だという証明を見せてくれ。」
レナスは、首から掛けている小さなペンダントを差し出した。
銀の台座に、ルストのシンボルである火を象徴する宝石、火輝石が埋め込まれている、ありふれた型のものだ。
それを受け取ると、ハガードは片眼顕微鏡を右目に当て、埋め込まれている火輝石を覗き込んだ。
ハガードが黙り込むと、店内は先程からの騒がしさなのだが、自分達がいるカウンター周りだけ、静寂に包まれたようだ。
フィリアも緊張しているのか、一言もしゃべろうとしない。
「ふむふむ、魔術師ギルドの品に間違いないな。身分証明に、こんな凝ったモン作るのは魔術師ギルドくらいだ。」
そう言うと、ハガードはレナスにペンダントを返した。
「依頼内容だが、分類は"護衛"ということになる。行き先は王都から北へ七日程離れた距離にある、ドワーフ集落"ネーデル"。追記として年齢二十未満の護衛者。これにも間違いはないか?」
先程と同じように、ただただレナスは頷いた。記載に間違いがあると申し出れば怒鳴られそうだ。
何度も見直しておいて良かったと本気で思う。
「よし、では契約成立だ。お前さん方を護衛する冒険者を紹介するとしよう。」
ハガードはそういうと、フィリアの右隣に座っている子供達に目をやった。
「この二人が、お前たちをネーデルまで護衛してくれることになる。」
その言葉に、男の子が大きく頷いた。
「ん。俺、エル。よろしくな、レナセス。」
簡潔にも程がある自己紹介だ。話し方も片言で、"よくわからない子"という表現が良く似合う。
それに続いて女の子が挨拶をする。
「お二人ともごきげんよう。私、神官見習いの、リィナと申します。どうぞよろしくお願いしますね。」
そう言うと、育ちの優雅さが伺えるような仕草でお辞儀をする。前者とは実に対照的な自己紹介である。
さて、どうしたものか・・・。
レナスは今の事実を受け止められず、ハガードに尋ねた。
「あの、マスター・・・。からかってるんですよね?子供に護衛してもらうだなんて・・・。」
すると、ハガードは先程の真剣な表情を崩し、ニヤッと笑うとこう答えた。
「この二人はな、こうみえても優秀な冒険者なんだよ。エルは近接での戦闘に秀でているし、リィナにいたっては小規模ながら治癒の奇跡を具現化できる。それに長期の旅の経験も相当なものだ。王都からの正式な依頼だからな。下手な人材を斡旋して、何かあった日には冒険者ギルドの沽券にかかわる。それでだ、年齢制限の中でも特に優秀な奴らとして選んだのがこいつらだ。ま、人は見かけによらないってことだな。」
そういうとハガードは笑った。ドワーフも真っ青な笑い声の大きさである。
レナスは軽い頭痛を覚え、頭かかえる。
その時だった。店の入り口が勢いよく開き、誰かが急ぎ足でカウンターの奥へと向かっていくのが見えた。
「っと、丁度いいところに、"人は見かけによらない"の良い例がおいでなすった。」
今入ってきた客を見ろといわんばかりのハガードの様子に、レナスはだいぶ離れたカウンターの奥に目をやった。
一体どういうことだろう。
どうやら今店に入ってきたのは、美しい金髪の少女のようだった。このような店に何故いるのかというような風貌である。
少女は奥のカウンターに座っている、包帯で顔の半分を覆っている容貌の男性客の後ろに立つと、わなわなと拳を震わせていた。
それに気付かずに、隣の女性と会話を弾ませている風変わりな男。
刹那−−
少女は、その男を蹴り飛ばしていた。
一瞬の出来事でレナスの目には何が起こったのか解らなかった。
派手に吹き飛ぶ男性客、それに呼応して何故か歓声があがる店内。
あまりの出来事に分けが解らないといった感じでレナスはハガードに向き直る。
「な、兄ちゃん。人を見かけで判断したら駄目ってことが良くわかったろ?」
ハガードは意地悪くそう言うとまた、豪快に笑った。