龍の樹 1

青い瞳の依頼人クライアント・ガール

「お兄ちゃん」
 妹?いや、俺にはそんな存在はいないはずだ。俺の記憶が正しければ、だが。
 じゃァ今、俺のマントの裾をギュッと握り締めるコレは何だ?
 目の前で倒れ伏し、呻き声を上げる三人の下郎共から目を離したのは別に不用心でもなんでもない。こう言った根性無しの手合いは肋骨の二本・三本ポキッとっちまや、二度と歯向かおうなんて思わないものだ。これ、俺の経験則ね。
 俺の名はエティル=ナーガルジュナ。年齢は十九歳。髪の毛の色は燃えるような炎の緋色。このクソ暑い最中さなかで厚着なのは別に変人だからじゃない。まァ、周囲の目は俺の主張など無用の長物とばかりの変人扱いだが。
 左腕は薄汚れた包帯で何重にもグルグル巻きにしてその上から手袋を嵌め、左目を隠すようにして頭部も麻布でグルグルに巻き付ける。ンで、厚手のマントの下、腰の後ろ周りにたずさえるのは、魔をはらう力を持つ言われる銀製の、装飾鮮やかなダガー。
 とまァ、そんな風体ふうていだ。これじゃいくら「俺は変人じゃありませんよ」と叫んだ所で、他人の目には変人にしか映らないだろう。おかげでこれだけの美男子が街を歩いていても、寄って来るのは美人の姉ちゃんじゃなく絡み相手を捜し求める不逞者ゴロツキくらい……と、あとは見知らぬガキんちょ。
 少女だ。年齢は九か十か。可愛いが、残念ながら俺の守備範囲はそれ程広くはない。フワフワの髪は金色ブロンド。瞳の色が青いのは、別に不審でもなんでもない。俺も隠してない右の瞳は青い。普通の人間の瞳と言う物は、そう言う物だ。
「なんだ、ガキんちょ。俺は官憲が来る前にさっさととんずらしたいんだが」
 別に悪い事をしたわけではない。俺的には。だが、街の法には抵触しただろう。殴り掛かって来たのは確かにチンピラどもが先だが、絡まれた時に俺も挑発で返した。正当防衛も成り立たない――勘違いしている人間が多いのだが、正当防衛とは「回避し得ない暴力に対して暴力で対処する行為」の事である。こちらから相手を挑発した時点で、「回避し得ない暴力」と言う大前提は消え失せる――。
 御託ごたくはどうでも良いのだ。兎に角、俺は官憲に厄介になりたく無い。だからさっさと立ち去りたいのだが、このガキがいつまで経っても俺のマントを放そうとしない。
「お兄ちゃんに、お姉ちゃんを助けて欲しいの」
 そう言った少女は、今にも泣き出しそうだった。
 成る程。簡単にだが事情は呑み込めた。要は力で解決し得るような事態に巻き込まれた姉を、言葉通りに「助けてやって欲しい」のだろう。街のチンピラ三人を数秒程度で戦闘不能にしてやった俺だ、ガキんちょの目には神の御使いにでも映ったのだろう。
 そう頼まれて「いやだ」と即答するのも男がすたる。だから俺はこうやって返事をしてやった。
「お前の姉ちゃんが美人ならな」
 間を置かずに首肯するガキを小脇に抱え、俺は取り敢えずその場を後にする事にした。


 


 ガキんちょの名前はリルと言うらしかった。子供連れには不似合い極まりない昼中の酒場で聞き出した情報だ。一応名前がある以上、相手が犬猫であろうとその名前で呼んでやるのが礼儀だろうから、以後はリルと呼ぶ事にする。心の中でだけ。
 リルは、俺達がいるここ"医学の最先端"ディアンケトから北東――つまり"火龍の都"ルストへ向かって徒歩で約一刻と半分(≒3時間)の場所にある小さな農村、フィブラの出自らしい。簡単に「徒歩で一刻半」とは言え、子供の足でとなるともっと掛かるだろうし、何より、運が良く無ければ魔物にって喰われちまう。はっきりと言わすもがなに「無謀」な旅だ。だが、その無謀を達成した上に休む間もなくこうして姉貴を助けてくれる「勇者」を探しているこのリルを思うと、思わず目頭が熱くなる。それだけ、リルは姉貴の事を慕っているのだろう。
 だが、仕事は仕事だ。依頼を果たしたら報酬として、遠慮無くその美人な姉ちゃんを口説かせてもらうとの約束を交わさせてもらった。勿論、美人な姉ちゃんの方が乗り気じゃなければ諦めるが。俺は鬼畜じゃないし、飢える程には女に困っちゃいない。
 話を戻そう。リルが言うには、美人な姉ちゃん――こちらはリンカと言うらしい――がいなくなったのは三日程前。昼頃、近くの森に山菜を採りに行ったきりプッツリと消息を断ったそうだ。村中総出で探したにも関わらず、見付かったのは山菜を一杯に摘んだバスケットだけ。僅かに争った跡が見受けられたらしく、「誰かに連れさらわれた」と言うのが村民達の総意だった。
 それを聞いたリルは、今朝早くに家を抜け出して冒険者の集るディアンケトまで歩き通して来たらしい。大した根性だ。しかも、家には書き置きも残して来たそうだから同年代の子供としては破格の知識を持っているようだ――小さな村の子供が文字の読み書きが出来ない事など珍しくも無い。読み書きが出来る必要が無いからだ――。それに、「森で慣れない探索に出て無駄足を踏むよりも、少々時間が掛かってでも冒険者を雇った方が効率的だ」と判断を下せるようだし、頭も冴えるようだ――まァ、冒険者を雇うのに金がると言う事を知らない所は、やっぱりガキんちょだ。俺みたいに「美人な姉ちゃんを口説きたい」と言う馬鹿がいなかったら、一体どうするつもりだったんだろうか?あと、その事件を単純に「暴力」で解決できると思った当たりも、不料簡ふりょうけん極まりない――。
 とまれ、簡単に事情を聞いた俺は、冒険者の店の伝手つてを使って馬を一頭借りるなり早速村へ向かって出発した。いくら書き置きをしたと言っても、姉貴が消息を断った直後に妹まで危険な道中に走ったと知れば、両親にしてみれば気が気じゃないであろう。急いでリルを連れて帰ってやらなければ、心の弱い人間なら簡単に発狂する。
 そんなワケで、俺は往路を、リルは復路を急いだ。
 寝不足と疲労を重ねたリルは、馬上で揺られるなりすぐに予想通り寝息を立てた。徒歩を選択しようものなら、ガキ一匹とは言えおぶって行かなければいけないところだった。俺は自分の先見の能力を自画自賛しながら、リルが馬から落ちないように軽く抱いてやった。


 


「ああ、リルちゃん。お姉さんが帰って来てたよ」
「え?本当?!」
「ああ、本当さ。さ、早く帰ってあげな。お父さんもお母さんも心配してたよ」
 村に到着して早々。初老の男に姉の帰宅を聞かされるなり、栗鼠リスか鼠のようなすばしっこさで素っ飛んで行った。俺の立場は一体どうしてくれる?
 恐らく、苦虫にがむしを噛み潰したようなしかめっツラでもしていたんだろう。そうでなくても目立つ風体の俺を、初老の男が胡散うさん臭さたっぷりに睨み付けた。
「ああ、怪しい者じゃない……って言っても説得力無いわな、この恰好じゃ。冒険者だ、一応な。あのガキんちょに頼まれて、美人の姉ちゃん探しに付き合ってやろうとでも思ったんだが……無駄足だったようだ。邪魔したな」
 無駄足はゴメンだが、余計ないざこざは尚更ゴメンだった。村の外に繋いだ馬の元へ向かう為、きびすを返す。男の安堵にも似た表情は予想通り。
 美人な姉ちゃんを一目見ておきたいと思ったのだが……ま、仕方がない――
「きゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」
 絹裂きの声は、幼い少女の声。聞き覚えがあるのは至極当然の事で、それはリルの声に相違無い。
「何じゃ……?!」
「おっさん。リルの家は何処だ?!」
 リルの悲鳴にただ驚くだけで行動に移ろうとしない男を後目しりめに、俺はただならぬ悲鳴の出所へ向かった。


 


 長く続いた悲鳴は、頼りになる道標みちしるべ。火遊びの刻の爽やかな空気の中で木霊こだましながら、畑仕事に精を出す村人達の注意を引いていた。
 ほんの二十秒、時折擦れ違う村人はリルの悲鳴を聞きながら「なんだ?」と言わんばかりに首をキョロキョロとさせるばかり。異邦の俺が悲鳴の出所へ向かうのを見て、漸く「何かが起こったらしい」と認識する有り様だ。平和過ぎたのだろう、不測の事態に対処する能力に欠けている。
 粗末な――とは言っても、村の規模と周囲のそれとの比較を考慮すれば割りと標準的な――家屋を曲がると、同じように粗末な造りの家屋の木戸の前で腰を落としたリルの姿。
「ガキんちょ!!どうした!!」
 俺の声には何の反応も見せず、ただ開け放たれたドアの中に向かい、金魚のように口をパクつかせていた。
 駆け寄り、放心直前のリルの体を抱き寄せた。頬に触れた右腕に、血の気の失せた冷たさが伝う。
 ガタガタと震えの止まらないリルの体を抱きながら、俺は家の中に目を凝らす。
 ――見えない。日差しの強さが祟ってか、家屋の中は闇の勢力が増しており、その中の惨状を見せてはくれなかった。
 そう、惨状だ。見えなくても、解かる。鉄錆びた血腥ちなまぐさい異臭と、まとわりつく生命の消える感覚。恐らく、中は血の海。幼いリルには、あまりにも鮮烈な衝撃となっているに違いない。
 後ろに集る人の群れ。口々に「何の臭いだ?」「臭い」「誰だ、お前は」と騒然とする。農業者には、この臭いは縁遠い存在だ。仕方が無い事だろう。
 だが、その騒然としたざわめきにあってさえ耳に聞こえる、かすれるように小さな音。
 ペチャペチョ……ガリ……ブチ……ゴクン……。
 背筋が凍るような戦慄。文字通り、肌があわ立つ。
 知っている。かつて一度だけだが、聞いた事がある音だ。その時は、闇のとばりの森の中、一匹の狼と一人の旅人が織り成した慄然りつぜん交響曲シンフォニーだった。それぞれが演者と楽器のパートに別れていた。
 演者と楽器は、それぞれ狼と旅人。狼が旅人を咀嚼そしゃくしていた時の音だった。
 家屋の闇に紛れるそのか細い鳴り音は、その時の交響曲と全くの同質だった。血を舐めて渇きを癒し、肉をみその弾力をたのしみ、骨を砕いて髄液を飲む。そんなディナーショーに流れる、鎮まるようなBGMだ。
「おい、お前は誰だ?!リルちゃんを放しやがれ!!」
 剣幕で俺の胸倉を掴もうとする若者を、眼力だけで退しりぞけた。「ヒッ」と言う情けない悲鳴に耳など貸さない。それよりも、闇にくぐもった咀嚼の音が止んだ事の方が気になったから。
 何かが、出て来る。"人"に似た気配。数秒の時間を待つと、現れたのは一人の女性だった。気付いた何人かの村人が「リンカちゃんかい?」と言った。
 成る程。こちらの女性がリルの姉貴か。流れるようなブロンドや青い瞳とその目尻など、どことなく妹のガキんちょを連想させる。
 うむ、確かに綺麗だ。"絶世の"と形容するにはいささか物足りないが、それでも都会の道を歩けば、多くの男性の視線を釘付けにするであろう。俺も出来れば真夜中のベッドの中でお付き合いしたいものだ。
 難を言わせてもらえば、化粧が濃い。と言うよりも、化粧の使い方をわきまえていない――有りていに言えば「下手糞」だ――。
 唇を濡らすべには、繊細な美貌を壊す程に鮮烈で、また、彩りは唇の上だけに留まらない。もっとこう、子供の下手クソな塗り絵遊びのようにはみ出し、縦は鼻の頭から顎下に、横は左右の耳朶みみたぶまで塗っていた。
 マニキュアも同じ。爪だけではなく上腕部までべっとりだ。
 衣裳選びも苦手なようで、白地にまだらの赤模様は、とても普通の感性を持つ女性の美的感覚とは思えなかった。
 白日の下に照らされた化粧下手な美女に、皆一様な表情を見せていた。ただ「え?」と言う、現実から目を反らした驚愕の表情。リンカは左手に、同じような顔をした男性の首をぶらげていた。
 リンカは笑った。いや、わらったのだろう。優美に微笑むのでは無く、口を歪めて。擬音を用いれば、「ニタァ〜」とした笑みだった。
 紅に塗れた美しい頬が裂け、耳まで割れたその口内、美しい青色のワンポイントを持つ白い球――眼球が転がっていた。



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